大判例

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最高裁判所大法廷 昭和28年(ク)55号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

人身保護法により救済を請求することができるのは、法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束されている者で(人身保護法二条)、その拘束又は拘束に関する裁判若しくは処分が権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に限りこれをすることができるのである(人身保護規則四条本文)。このように請求の理由を、権限、方式、手続の違反が、著しく、且つ顕著である場合に限定したのは、人身保護法が、基本的人権を保障する憲法の精神に従い、国民をして現に不当に奪はれている人身の自由を、迅速、且つ容易に回復せしめることを目的として制定された特別な救済方法であるからである(人身保護法一条、同規則四条但書参照)。

そこで本件請求の当否を按ずるに、原判決の認定するところによれば、抗告人が釈放を求めている被拘束者等は、いずれも連合国が戦争犯罪人として極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の連合国戦争犯罪法廷において為した裁判により刑の言渡を受けた者につき、拘束者は昭和二七年条約五号日本国との平和条約一一条並びに同年法律一〇三号五条以下の規定に基づき連合国最高司令官又は関係国から残刑の執行のため引渡された者につき、その執行のために拘束しているものである。

よつて拘束者は右条約並びに法律の定めるところに従い右法律六条に規定する刑の執行を為すべき巣鴨刑務所長として、その職権により拘束しているのであるから、拘束者の本件拘束を目して人身保護規則四条の拘束が権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著であるとはいえない。抗告人は本件請求の理由として、平和条約一一条並びに法律一〇三号が憲法に違反するとなし、その前提に立つて本件拘束の不当を主張し、これに対する原審の判断が違法であるとして本件抗告の申立をしているのであるが、抗告人の主張が人身保護法並びに同規則の定める救済請求の理由に該当しないことは、以上説示するところにより明らかであるから、原審は抗告人の右違憲の主張に対して判断を与えるまでもなく、抗告人の請求は理由なきものとしてこれを排斥すべきである。しかしながら、人身保護法一一条一項により抗告人の請求を棄却した原決定は結局において相当であるから、抗告人の本件抗告はその理由がないことに帰する。よつて抗告費用は抗告人に負担せしめることとし主文のとおり決定する。

この決定は裁判官真野毅、同藤田八郎の少数意見を除く外裁判官全員一致の意見である。

裁判官真野毅の意見は左のとおりである。

わたくしは、多数意見の結論には賛成であるが、その理由中において抗告人の違憲の主張に対して何等の判断を与えることなく、ただ漫然と本件抗告を棄却した点において、その法律判断に大きな誤りが存するものと考える。

原審の認定によれば、本件拘束者は、昭和二七年条約五号日本国との平和条約一一条及び同年法律一〇三号五条以下の規定に基づき、連合国最高司令官又は関係国から戦争犯罪人としての残刑の執行のため引渡された者をその執行のために拘束しているわけである。

本件抗告の理由は多数意見も認めるごとく、前記平和条約一一条及び法律一〇三号が憲法に違反するとなし、その前提に立つて本件拘束の不当を主張するのである。

すなわち、本件拘束者は、本件被拘束者の人身を拘束する法律上の権限がない旨を主張しているのである。

それ故、本件人身保護請求を排斥するためには、前記違憲の主張は理由なく、本件拘束者は、本件被拘束者の人身を拘束する適憲な法律上の権限があることを判断しなければならぬわけである。

それだのに、多数意見は、「拘束者は、右条約並びに法律の定めるところに従い、右法律六条に規定する刑の執行を為すべき巣鴨刑務所長として、その職権により拘束しているのであるから、拘束者の本件拘束を目して、人身保護規則四条の拘束が権限なしにされ……ていることが顕著であるとはいえない」とし、「右違憲の主張に対して判断を与えるまでもなく、抗告人の請求は理由なきものとしてこれを排斥すべきである」と判断している。

これは、甚だしく物の本末を倒さまに見た理論構成ではあるまいか。一国の法制は言うまでもなく憲法が基本であつて、拘束者が適憲な法令によつて被拘束者の人身を拘束する法律上の権限を有しない場合には、常に人身保護の請求は認めらるべきものである。

されば本件においては多数意見のごとく前記違憲の主張について判断を与えず、前記条約及び法律一〇三号により拘束していることを認めるだけでは、本件拘束が果して適憲かつ適法な権限に基づいてなされているかどうかを知ることができない。従つて、人身保護の請求を認むべきかどうか、また本件抗告の理由があるかどうかを知ることができないはずのものである。

次に、多数意見は、人身保護規則四条にいわゆる「拘束……がその権限なしにされ……ていることが顕著である場合」に該当しないから、本件人身保護の請求は理由なきものとして排斥すべきであるとしている。しかし、本件で拘束の権限が有るか無いかは、一に前記違憲主張の憲法解釈如何のみに係つている。そして、最高裁判所は適憲・違憲の決定をする終審裁判所である(憲法八一条)。それ故、憲法解釈の判断がいかに難事であつても、当該事件の適用に必要である限り、憲法上の職責としてその判断を示すことを要し、これを拒否することはできない。常に適憲か違憲かを判断すべきものであつて、違憲が顕著でないことを理由として、違憲の主張に判断を与えないわけにはいかない。これが憲法の要請するところである。わたくしは、拘束の法律上の権限の有無が、条約法令等の適憲・違憲に係つている場合に、多数意見のように、人身保護規則四条を盾として適憲の主張に判断を与えない態度をとることには、到底賛同することを得ない。なぜならば、それは著しく本末を転倒した議論であるのみならず、人身保護の請求を違憲の場合にも制限する極めて不当な結果を生ずるに至るからである。

最後に、わたくしは所論の条約及び法律の規定は適憲であり、従つて本件において拘束者は拘束について適憲な法律上の権限を有するものと考えるから、本件抗告はその理由により棄却されるを相当とする。(ただ適憲についての詳細は、本件においては述べないこととする)。

裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

多数説は、「抗告人は本件請求の理由として、平和条約一一条並びに昭和二七年法律一〇三号が憲法に違反するとなし、その前提に立つて本件拘束の不当を主張」するものであることをみとめながら「抗告人の右違憲の主張に対して判断を与えるまでもなく、抗告人の請求は理由なきものとしてこれを排斥すべきである」としているのは、畢竟、右違憲の主張は、人身保護規則四条の「人身保護請求の要件」に合致しない。即ち右の主張は同規則四条にいわゆる「拘束に関する処分が、その権限なしになされていることが顕著である場合」に該当しない。換言すれば、平和条約並びに前示法律の違憲なることが顕著といえないという趣旨に出たものと解するの外はない。自分は、条約又は法律が違憲であることが裁判所に顕著でないという事由では人身保護の請求を拒否することはできないものと解する。ある条約または法律が違憲であるかどうかについては、少くとも最高裁判所において、それが顕著でないという理由で裁判を拒否することは許されないと思うからである。殊に本件のごとき刑事裁判上の手続によつて、拘束されているものでなく、その拘束に対して他に救済の方法のない案件において、多数説のごとく、ただ条約又は法律が違憲なること、裁判所に顕著でないという理由で、人身保護の請求を排斥することをみとめるならば、かかる案件については、たとえ、それが違憲の処分でなされている場合でも(そのことが顕著といえないかぎり)ついに人身の保護を受ける道はなく、人身保護法制定の目的は没却せられることとなるであろう。

本件被拘束者等は、いずれも、連合国が戦争犯罪人として、極東国際軍事裁判所並びに日本国及び国外の戦争犯罪法廷における裁判により刑の言渡を受けた者であつて、拘束者は昭和二七年条約五号日本国との平和条約一一条並びに「同条による刑の執行及び赦免に関する法律」(同年法律一〇三号)五条以下の規定に基づき、右刑の執行のために被拘束者等を、拘束しているものであることは、多数説説示のとおりである。そもそも平和条約一一条は、わが国が敗戦の結果、一切の戦争犯罪人に対する厳重な処罰条項を含むポツダム宣言を受諾し、その誠実な履行を約したことに基づき、連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、これらの法廷がわが国民に課した刑を平和克復后、わが国において執行することを約したものであつて、畢竟、ポツダム宣言の誠実な義務履行の一端に外ならないものである。しかして、日本国憲法は、ポツダム宣言受諾の後に制定せられたものであつて、右憲法の条項の中には、独乙国ワイマール憲法第一七八条(ベルサイユ講和条約の規定は同憲法により効力を妨げられることがない旨)のごとき規定は存在しないけれども、ポツダム宣言受諾の効果は、日本国憲法により、その効力を妨げられるべきものでないことは日本国憲法制定の由来等からして当然の理と解すべきであるから、前記のごとく直接ポツダム宣言に基拠し、その義務履行の一端としてなされた平和条約一一条のごときは、日本国憲法によりその効力を妨げられることのないもの-換言すれば日本国憲法の効力の外にあるもの-と解すべきである。従つて、同条約一一条の条項(ひいてはこれに基づく、前示法律一〇三号の規定)が国際正義に合致するや否やの論はさておき日本国憲法に違反する旨の抗告人の主張は見当違いの論であつて抗告人の論旨はこの意味において、すべて排斥を免れないものである。(尚、本件被拘束者中吉本勝喜外三名に対する原決定の判示は正当である。)

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

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